現役農大生の食のコラム連載、第2回のテーマは、「令和の米騒動」です。
「いかに安価に米が買えるか」ーそれは暮らしの中でとても重要なことですが、しかしその思考によって、新たな食の危機と混乱を招いてしまうことになりかねません。
実際、農水省が来年度の概算要求に組み込んだ「戦略的農林水産研究推進事業」という名の下に進められようとしている節水型乾田直播栽培は、農薬や化学肥料の利用を増やすことが確実です。これはまさにショック・ドクトリンと言えます。
令和の米騒動の再考察で、わたしたちの現在地を見つめたいと思います。
第2回:令和の米騒動を再考する
私はテレビを所有していないのでわかりませんが、最近、令和の米騒動に関するテレビでの報道が少なくなってきているということを聞きました。私が購読している新聞は農業関係であるからか、往々にしてMA米(ミニマム・アクセス米)が主食用に回される話や米の先物取引のこと、新米の米価の動向などが紙面の俎上に載ります。最近ではSBS米(MA米のうち売買同時契約方式で輸入される米のこと)の年間枠が、11月にしてすでに全量落札されたことが話題になっていました。輸入するときに払う関税を考慮しても、国産米より安く、外食産業や業務用としての需要が高まっていることが背景にあるようです。また、日米関税交渉の果てに日本はアメリカからの米の輸入を75%増やすことになったとの報道も目にしました。
急に「上昇」した米価は、これまで低迷し、再生産困難な状況だった米価のことをなかったかのようにして報道され、多くの国民の関心は、いかに安価に米が買えるかという事へと遷移していきました。特にインパクトがあったのは、石破茂首相(当時)が口にした、「5㎏あたり3000円台でなければならない。4000円台などということはあってはならない」という言葉や、小泉進次郎農相(当時)が「5㎏2000円で店頭へ」と言い、備蓄米を本当に2000円台で売ったことなどです。米価が「上昇」したことでまずすべきは、消費者の米価への意識改革や生産現場のことを考え直し、コスト上昇分を国が補填するといった「根本療法」だと思います。しかし、国が実際に行ったのは、米価を無理やり下げるという「対症療法」だったのです。このことが農業という存在の重要性と国が取るべき態度や責任を有耶無耶(うやむや)にし、「価格さえ安ければよい」「その手段は問わない」という考えに、私たちを転倒させたのではないでしょうか。
「令和の米騒動」は減反政策の批判などもあり一時期注目されていましたが、喉元を過ぎたいまではすっかり熱さを忘れられ、語られなくなっているというのが私の個人的な認識です。ここで台頭してきたのがOKシードプロジェクトでも問題視している「節水型乾田直播」です。節水型乾田直播に関する解説は、私よりも詳しい方々が的確に述べておられるのでここでは割愛します。私も、この「節水型乾田直播」の安直な移行には批判的な考えを持っています。もともと湿地に住んでいた生き物たちは、人間の湿地の開発によって住処を奪われ、行きついたのが水田だったと聞きました。その水田を、また人間が取り上げようとしているのです。節水型乾田直播はコストダウンにつながり、米を安く作れて安く買えるのだと喧伝されています。また、これを激烈に推進する人物をたたえるメディアの存在も、問題視すべきです。農水省も節水型乾田直播の普及に積極的であるというので呆れるばかりです。人口に膾炙する力を持つメディアが節水型乾田直播に関するよい面の情報ばかりを流すと、ほとんどの人はそれを鵜呑みにしてしまいます。これでは公平な議論ができません。このような、メディアが多くの人を説得し、あるいは無関心に導き、反対意見との衝突を避けるように仕向ける構造は、節水型乾田直播の問題だけに限らないと思います。
節水型乾田直播に関しては、政治においても必ずしも賛成意見ばかりではないようです。与野党の国会議員有志でつくる「農業の未来を創造する議員連盟」は、「水管理の省力化につながる印象だが、きめ細かい見回りや水管理が逆に必要になる」と指摘し、省力化の精査を農水省に求めているそうです(『日本農業新聞』2025年11月12日付)。ただ、私がここで指摘したいのは「省力化」や「低コスト化」のみが議論され、生物多様性の影響、節水型乾田直播に伴う遺伝子操作イネの登場などの問題は度外視している印象を受けたということです。他にも、連作障害や「雑草イネ」の問題など、その問題点は枚挙にいとまがありません。省力化と引き換えに、それに伴うイネの遺伝子操作の正当化や小規模農家の退場を強いるようなことがあってはいけません。大規模化しないと運用が困難な技術の導入は、裏を返せば「小規模は邪魔だ」という発想になります。小規模農家が日本の国土を守り、生態系を維持してきたことは言うまでもありません。その極めて重要な役割を、一部の企業が掌握してマネタイズすることを私は許すことができません。実際、農業を職にしていない私が、現場の大変さを軽々しく語るのは場違いだと分かっています。でも、農なくして私たちは生きられない。このことは身をもって感じています。守るべきものの優先順位を見誤ってはいけません。
最後に、令和の米騒動を再考するうえで大変重宝した書籍に触れたいと思います。鈴木宣弘氏著の『令和の米騒動 食糧敗戦はなぜ起きたか?』についてです。鈴木宣弘さんのご著書は毎回的確な指摘と問題提起、それに対するデータを用いた解決策の提示がなされており、非常に勉強になっています。私の解釈ですが、いまの状況は次のようなものではないでしょうか。米価が「高騰」して消費者が買えない。しかし米作りを続けるためには需要も所得も必要。だから消費者視点で考え、まずは安くしないといけないから農家には安価に作ってもらおうとする。そのためにはコストダウンが必要で、大規模にスマート農業を導入した農業を提案する国。それに従う、あるいは従うことのできる農家が、いわゆる「意欲のある農家」とラベリングされ補助金で優遇される。地域のコミュニティでも重要な小規模農家は捨象され、廃業を余儀なくされる。生産費の上昇があたかも農家の技術不足かのように扱われ、アクセスも条件も限られたスマート農業が推進されている、というものです。鈴木宣弘さんは、その解決策として技術導入や大規模化ではなく、国が農家の生産コストと販売額の差を補填すればいいという、直接支払いの仕組みの提案をされています。こうすれば消費者の「適正」価格と生産者の「適正」価格の差が埋まるということです。
有事の際、食料自給率が低い日本、特に都心部では飢えることは明白ですが、軍事費を増大して農業予算は削られていく一方です。有事の際に戦闘機を食べることはできませんが、食料備蓄や国内自給が安定していれば国民の命は守れる。であるのになぜ、日本は真に国民の「安全保障」になる農業分野を見捨てるのか、ということが鋭く指摘されています。この「令和の米騒動」をきっかけに、私たちはこれからの農の向かうべき未来について本気で考えないといけないと思います。
鈴木宣弘さんのおっしゃる「飢えるか、植えるか」というのは、本当に差し迫った問題だと認識しています。私は大学のサークルで大学周辺の農地を借り、農作業をしています。播種や寒冷紗(かんれいしゃ)をかける作業は大変ですが、やりがいを感じています。こうした取り組みが全国各地で行われると、半農半Xを実現できると思います。目先の利益ばかりに気を取られ、迫りくる飢えの危機を見て見ぬふりをしていてはいけないと思います。「農は国の基」この言葉を肝に銘じた政策提言を求めます。







