現役農大生の食のコラム連載、第4回は読書が趣味の中尾さんが、帰省中に読んだ本について紹介してくださいました。
「食」から少し離れているようで、実はとても深く共通している私たちの「暮らし」とそのシステムの問題について、問いかけています。
帰省中に読んだ本で感じたこと~当たり前の日常の裏側で~
進学で東京に出て春休みに入り、地元に帰省中に2冊の本を読みました。私は読書が趣味なので、「食」とはあまり関係がないかもしれませんが、それらの本を読み感じたことを自分なりに書いてみようと思います。
まず読んだのは、シッダルタ・カラ著の『ブラッド・コバルト コンゴ人の血がスマートフォンに変わるまで』(大和書房)です。本書の舞台はコンゴ共和国。この地域には、私たちが普段手にするスマートフォンや、今「クリーン」とされてもてはやされる電気自動車などのバッテリーに使われる「コバルト」が多く眠っています。そのことに気づいた鉱山企業は、コバルトを狙ってコンゴの住民たちを追い出します。住み慣れた土地を追い出され、豊かだった生活を破壊され、もちろん伝統的な食文化も奪われました。
住み慣れた土地を追い出された住民たちは、採掘場と化した地元でコバルトの採掘を始めたといいます。むしろ、コバルト採掘をしなければ稼げない、食べていけない状況にまで追い込まれたといえるでしょう。
コバルトの採掘には、「企業による採掘」と「職人的採掘」があるといいます。前者は、鉱山企業が泥も土も一緒に掘り出して目的の鉱物を取り出すという、荒っぽいが効率のよい方法で採掘されます。後者は「職人的」という言葉とは似つかわしくなく、子どもたちを含むコンゴの人たちが、わずかな脆弱な道具を使って、あるいは素手で採掘をします。「職人的採掘」によって手作業でていねいに精製されているため重量当たりの純度は高く、グレードが高いといいます。しかし問題なのは、「職人的採掘」によって得られたコバルトのほとんどは、仲買人によって安く買いたたかれ、「職人的採掘者」は1日1ドルほどの収入しかないということです。これではまともな生活ができるはずがありません。
さらに悪いことには、コバルトを含む「ヘテロゲン鉱」は、ウランや重金属も含み、「職人的採掘者」はそれらに常に暴露されていることにもなります。また、流通に乗るころには、「企業による採掘」によって得られたコバルトなのか、「職人的採掘」によって得られたものなのか区別がつかなくなるといいます。
それだけではなく、企業による採掘を行った後、目的の鉱物を取り出すのには薬剤を使い、その処理を行う施設は、コンゴにあります。その薬剤処理は、有毒な物質の発生を伴いますが、企業はその有害物質を閉じ込めず、垂れ流しにしているといいます。つまり、最終的にコバルトを消費する先進国での汚染を避けるため、立場の弱い国で汚染を垂れ流しているのです。
これによる健康被害は深刻なようで、コンゴの子どもたちが有害物質にまみれ健康を損なう、あるいは妊婦が有害物質に暴露され、死産が増加するということも確認されているようです。しかし、コバルトで利益を得る企業たちはこうした事実をひた隠し、労働現場は環境や人権が守られており「クリーン」であるとの主張を続けているようです。
このような、想像もできない過酷で不平等で持続不可能な環境で搾取されている人達がいて、私たちはこうして便利な生活ができていることを改めて実感し、また、そこまで考えてこなかった自分が恥ずかしくなりました。
本書で触れられているのは過酷な労働環境、子どもの権利などでしたが、私は別の角度から考えてみました。「食料主権」をはじめとする、現地の人たちの暮らしにかかわる権利です。詳しいことは不勉強で分かりませんが、鉱山企業がコンゴから搾取を始めるまで(本書では、企業だけでなく搾取を許している腐敗した政府などにも批判の目を向けるべきだと指摘していましたが)、伝統的な持続可能な暮らしをしていたのだろうと思います。ネット上の記事(*1)によると、料理の伝統として、「文化に対する特別な注意と敬意を持って調理され」ているようです。ほかにも、音楽、踊り、宗教など独自の文化があるといいます。そうした豊かな暮らしが、外部の利益目的によって壊されてしまうことは、決してあってはならないと思います。しかし、コバルトの例だけでなく多くの食べ物に関しても、そうした暴力的な搾取のうえに存在しているという認識が、私をはじめ多くの人に欠けているのではないかと感じました。
このことを表す印象的な分が、訳者のあとがきにありました。
―電子機器に使われるコバルトを産出していながら、現地のコンゴの人たちは電気すら来ていない村に暮らしている。スマートフォンなど見たこともない。実のところ、我々は全員、共犯なのだ。知らないとはいえ、日々コンゴの人々を苦しめ、(比喩ではなく本当に)命を奪いながら豊かな生活を送っている。
私は「搾取する側」の国で暮らしています。遠くの国で起こっていることから、私たち消費者の目をそらせようとする企業の「クリーン」な主張を信じて疑わず、見て見ぬふりをしてきました。今、私は消費者として食べたいものを選ぶことができる恵まれた環境にいます。それは、私が食べたいと思うものを作ってくださる方々がいるおかげです。しかし同時に、「生産者に依存する消費者」ともいえるでしょう。生産者がいなくなり、命の源である種子がなくなれば、私は生きていくことができないという現実を再確認しました。
同じように、高機能なバッテリーはコバルトなしでは造れません。しかし、コバルトも埋蔵量が限られています。本書を読むまで、「資源が尽きたら私たちの暮らしはどうなるのか」としか考えられませんでした。しかし読み終わったころには、いつかコバルトが搾取され尽くしたら、コンゴの人々は置き去りになってしまう、それでも世界は進んでゆくという恐ろしさに、どう向き合うかが問われていると感じるようになりました。本書をきっかけに、企業の主張を鵜呑みにするのではなく、自分の暮らしを再度自分の目で見つめなおそうと思いました。
もう1冊は、池尾伸一著『仮放免の子どもたち 「日本人ファースト」の標的』(講談社)を読みました。
本書によると、仮放免とは「超過滞在(オーバーステイ)や難民申請が不認定になるなどの理由で、収容令書または退去強制令書の発付の対象となった外国人が、一時的に収容施設の外で生活することを認める制度」とされています。タイトルにもあるように、「日本人ファースト」というフレーズは2025年の参議院議員選挙でよく耳にしたのではないでしょうか。
私はこの言葉を聞いた時、違和感がありました。「ファースト」される裏側には、虐げられる存在があるのではないかということです。その違和感は正しく、外国人を根拠なく差別したり追い出そうとしたりする風潮が強まり、「日本人かそれ以外か」という分断が生じました。本書を通して、2025年の参議院議員選挙での「日本人ファースト」がいかにひどいものかが見えてきました。
まず、「難民認定」の基準が異常に厳しく、迫害を受けて自国から日本に逃れてきた人たちを難民認定するに迫害を受けた「物的証拠」の提示を必要とするなど、日本も批准する、「迫害から逃れてきた人を難民として受け入れる義務を負う」とされる「難民条約」が守られていないことを知りました。そして、「在留資格」を持たない親から生まれた子どもは同じように、在留資格を得られず、就労や移動に厳しい制限がかかり、部活動の遠征や修学旅行にさえ行くことができないといいます。
そうした子どもの家族もまた、就労ができず生活が苦しく、満足に食事もできないということを知り、胸が締め付けられました。まっとうな食べ物は、豊かさや国籍などで判断されるべきでなく、万人が口にすることができる権利があると思います。満足に安心して食事ができない状況に追いやられることは、人権が侵害されているに等しいと私は考えます。
それだけでなく、在留資格のない親が突然子どもから引き離され、強制帰国させられることもあると知りました。これは「児童は両親の意志に反して分離されるべきでない」とする「子どもの権利条約」に違反しています。日本に住む自分と同じくらいの年齢の子が、将来の夢を持つことも、家族と平和に過ごすことも、学校行事で経験を得ることも制限されていることを知り、非常にショックでした。
同書を読み、「外国人のせいで日本が良くならない」などと言いながら唱えられた「日本人ファースト」は、全くの事実誤認だといわざるを得ないと再確認ました。自然界がそうであるように、多様な人たちがともに助け合い生きていくことが必要で、無駄な分断を生むようなことはするべきでないと思います。一方で、外国人政策として、高市政権下では、外国人政策の政府基本方針を全面書き換えしたと新聞が報じていました。具体的には、「全ての外国人を孤立させることなく、社会を構成する一員として受け入れていく」という記述を削除し、「ルールを逸脱する行為や制度の不適正利用に、国民が不安や不公平を感じる状況に対処する必要がある」などと記されたといいます(朝日新聞2026年1月24日)。
外国人政策の話題で、よく「共生」という言葉が出てきます。しかし、「共生」を、マジョリティ(多数派)がマイノリティ(少数派)を「迎え入れてあげる」という意味で捉えられがちだと感じます。マイノリティの意見をくみ上げ、マジョリティの社会の構造を変えていく「共生」を目指すべきだと思います。マジョリティのみで埋め尽くされたマジョリティのための議論のテーブルをマイノリティにまで広げ、オープンネスにしていくべきです。これから少子高齢化が進むなか、外国人の力が必要なのはいうまでもありません。排外主義を是認していたら、外国人に来てほしくても来てもらえなくなると思います。
デジタルの時代、スマートフォンに流れてくる情報だけを鵜呑みにし、リアルに会ってもいない人たちを批判するのは尚早であると本書が指摘しているのを見て、納得しました。だからこそ私も、この目で見て物事の善し悪しを判断できる人なりたいと思いました。
この2冊は、これまで関心を持っていたものと違うジャンルの本を読んでみようと思い手に取りました。よく、大学で学んでいる分野ではない本を読んでいると驚かされることがあります。学科や専攻にとらわれず、これからも視野を広げていきたいと思います。
参考文献
*1 歴史百科事典「コンゴ」https://globhistory.org/ja/article/kongo/nacionalnye_tradicii_i_obychai_kongo
徳島県出身、東京農業大学在学。
好きな言葉:「食は命」
好きな食べ物:らっかせい
趣味:スニーカー鑑賞、読書、散歩
特に嫌いな添加物:加工でんぷん
人生を変えてくれた本:「コンビニ&スーパーの食品添加物は死も招く」(2014)小薮浩二郎著



-scaled.jpg)
(講談社)-scaled.jpg)


