ゲノム編集食品では日本が突出し、一般に販売されているのは日本に限られていました(米国でのゲノム編集大豆油が先行したのですが、それは破綻し、それ以降、実質的な動きは日本に限られました)。現在も世界の大きなプレーヤーはゲノム編集食品生産にまだ動いていません。
その理由の最大のものは2018年7月に欧州裁判所がゲノム編集生物は遺伝子組み換え生物として規制しなければならないと判断したことにあると言えるでしょう。バイオテクノロジー企業のロビー団体(その中心にはバイエルなどの遺伝子組み換え企業があります)はこのEUの規制を緩和させるために巨額を投じて、その規制方針を撤回させるために全力を挙げます。
その結果、EUの立法機関の3つ(欧州議会、欧州理事会、欧州委員会)のうち、欧州委員会が2021年4月に規制見直しの必要性を打ち出します。しかし、ヨーロッパでは農民や種子企業、市民団体に加え、有機・Non-GMO食品の流通業者団体もその規制緩和に強く反対し、その方針には強い反対があり、規制緩和は容易に進まずに、議論の応酬が続きました。
2024年2月になって欧州議会が規制緩和に向けて議決を行いましたが、同時にゲノム編集生物(食品)への表示義務化、特許の無効、除草剤耐性、害虫抵抗性品種は遺伝子組み換えとして規制する方針などの一定の縛りを持った決議が同時に行われました。
欧州議会の議決を経て、その後の検討は欧州議会、欧州理事会、欧州委員会の三者協議に移りましたが、表示を求める市民や特許に警戒する種子企業、表示のない流通による混乱に懸念を示す流通業者の声もあって、その協議は難航し、長く中断していました。欧州議会選挙で、極右勢力が伸張し、ゲノム編集食品に批判的な勢力が減ってしまったため、欧州委員会寄りのペースで三者協議が進み、2025年12月3日についに三者合意が成立しました。それを受けて、12月19日にはEU加盟国の過半数がその三者合意を承認しました¹。
この合意がそのまま承認されれば2026年前半に欧州議会が正式承認した後、数年以内にEUでもゲノム編集食品が表示なしに流通してしまう事態になることが予想されます。そうなれば世界の遺伝子操作のメインプレーヤーと言える4大遺伝子組み換え企業が本格的にゲノム編集食品の生産に本腰を入れる可能性が高まります。
このEUの三者合意にはいくつかの特記すべきことがあります。
- ゲノム編集食品への表示義務は見送られたけれども、種子への表示義務は残った
- 除草剤耐性、害虫抵抗性作物は規制緩和の対象からは外され、遺伝子組み換え作物としての規制を受ける
- 欧州議会の議決ではゲノム編集生物に対する特許は無効とされたけれども、その決定は後退し、特許情報を公開データベース化すれば許容されることになった。
- 日本や米国などではゲノム編集をSDN-1(塩基の欠損のみ)、SDN-2(外来塩基の挿入)、SDN-3(外来遺伝子挿入)と分類しているが、EUでは規制を受けないNGT-1と遺伝子組み換えとして規制するNGT-2に分類される。NGT-1には20箇所20塩基までの挿入(NGT-2)を含む変異が許され、欠損については制約がない。
日本にとっては特に1と2については重要な意味を持つと考えられます。なぜかというと、日本では種子にもゲノム編集であることの表示義務がありません。ゲノム編集種子は有機農業では使用不可ですが、表示義務もないのに、有機農家はどうやって見分けるか、有機農業の存続にとって制度的な矛盾が生まれています。
EUが種子への表示を義務付けたのは、その点、合理的な判断です。もし、これが正式な政策となれば、日本の種子会社はゲノム編集された種子を売る場合、国内では表示は不要ですが、EUに輸出する時は表示をするというダブルスタンダード状態に置かれます。日本の有機農業でも使うことは許されないものですから、日本での政策的矛盾を放置するのではなく、日本でもゲノム編集の有無を種子に表示を義務化することが必要になるでしょう。
一方で、このEUの案ではよりいっそうのゲノム編集生物の規制緩和につながる面もあることに注意が必要です。つまり、日本では現在、流通が許されているゲノム編集生物はSDN-1、つまり遺伝子の一部の塩基が欠損したものだけであり、外来の塩基が挿入されたSDN-2は農水省、環境省の届け出の範囲では認められておらず、生産ができませんが、このEUの新たな案では外来の塩基を挿入された品種も認められる可能性があるからです。
EUでは引き続き、ゲノム編集問題に懸念を持つ市民団体はこの規制緩和案に強く反対しています²。この数年の間、ゲノム編集をすることでさまざまな危険があることがいくつもの研究によって明らかになったからです。
ゲノム編集を推進する人びとはゲノム編集が正確に遺伝子の一部を変えることができると主張していますが、実際には狙っていない遺伝子を破壊してしまうことが起きる(オフターゲット)、狙った遺伝子を狙い通り破壊できた場合(オンターゲット)でも、多くの塩基や遺伝子の損失や染色体破砕を引き起こすことがある、また想定外のタンパク質を生成してしまうことがあることが知られてきました。オフターゲットの問題は技術が進歩することによって避けることができる可能性も高まりますが、オンターゲットで生じる問題は克服が困難です。それに加えて、遺伝子を想定通り破壊できた場合でも、遺伝子のオンオフをコントロールするエピジェネティックな調整機能に大きな問題が出ることも最新の研究で指摘されています³。

遺伝子はクロマチンという結合体の中に組み込まれ、その遺伝子が発現するかどうかがコントロールされます。しかし、ゲノム編集で破壊された箇所のクロマチンはその構造が図の右のように壊れてしまっています。これを研究者は「クロマチン疲労」と名付けました。このようなことが起きてしまえば、遺伝子の発現は大きく変わってしまうため、遺伝子そのものに問題が出てなかったとしても、新たなアレルゲンや毒素が作られることにつながったり、動物の場合はDNA修復後の遺伝子発現の混乱が、先天性欠損症やがんなどの深刻な生理学的影響を引き起こす可能性があります。そして、この異常は世代を超えて、受け継がれる可能性があります。自然界の中ではそのような突然変異が広がる可能性はほとんどありませんが、人間がその生物を広げてしまうことは生態系にも大きな影響を与える可能性は否定できません。
現在のゲノム編集生物の日本の規制では、このような危険があっても、外来の遺伝子が入っていなければそのまま表示しないままの流通が認められおり、避けることができませんし、EUの規制でも避けることができなくなることになります。消費者の健康にとっても生態系の維持にとっても危険が想定できるのに、各国政府は続々とそれを規制する権利、危険をモニターする義務を放棄しようとしています。
ゲノム編集食品を表示しないで流通させ、その結果についての監視もしない、というこの各国政府の政策が今後の食を危うくする懸念は高まっています。食品表示の義務化はその危険を避ける最低限の制度になります。その必要を求める声は今後もより強くなっていくでしょう。
また特許によって少数の企業によって食、社会が支配されてしまう懸念は高まっています。
消費者が「ゲノム編集されていない」と表示された食品を買うことによって、この懸念を避けることができるようにOKシードプロジェクトは今後も活動していきます。
(1) この間のEUでの動きをまとめました。
| 年月 | 出来事 | 内容・意義 |
|---|---|---|
| 2018年7月 | 欧州司法裁判所 (ECJ) 判決 | ゲノム編集(標的突然変異誘発)は従来のGMO規制の対象であると判断。 |
| 2021年4月 | 欧州委員会が報告書を公開 | 「現行のGMO規制はNGT(新ゲノム技術)には適合していない」と結論づけ、規制見直しの必要性を公式に表明 |
| 2023年7月 | 欧州委員会が規制案を公表 | NGTを「カテゴリー1(従来育種と同等)」と「カテゴリー2(従来のGMOに近い)」に分ける大幅の緩和案を提案。 |
| 2024年2月 | 欧州議会が採択(第一読会) | 規制緩和の方向性を支持。ただし、「特許の禁止」や「全NGT製品の表示義務」などの厳しい修正案も同時に盛り込まれる。 |
| 2024年春〜秋 | 3者協議の停滞 | 「特許」や「表示」を巡り欧州議会と欧州理事会(各国政府)の意見が激しく対立。 |
| 2025年3月 | 欧州理事会が交渉権限確保 | 特許問題について妥協案で加盟国の合意を取り付け、3者協議前進へ |
| 2025年10月 | Annex Iに合意 | NGT-1を分ける科学的基準(20箇所・20塩基ルール)について実務的な合意。 |
| 2025年12月 | 3者協議で暫定的な政治合意 | 欧州議会、欧州理事会、欧州委員会の3者が妥協案に合意。種子への表示義務や除草剤耐性、害虫抵抗性の規制緩和からの除外など規制緩和の全体像が固まる。 |
| 2025年12月 | EU加盟国の過半数が3者合意を承認 | オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、スロバキア、スロベニアは承認せず |
| 2026年前半(予想) | 欧州議会で最終承認 | 3者合意を元に欧州議会で最終承認が計られる。各国での制度の構築 |
| 2027、2028年(予想) | 規制緩和の実施 | ゲノム編集生物(食品)の流通開始? |
(2) 2025年12月19日、EU諸国の過半数が3者協議合意を承認した日に、ヨーロッパの中小農家を代表するビア・カンペシーナのヨーロッパの協議体であるECVC(The European Coordination Via Campesina)は声明を発表し、この3者協議合意がヨーロッパの食料主権と種子主権にとって戦略的な誤りであると非難しています。
EU Member States approve the deregulation of GMOs obtained by NGTs: a strategic error for Europe’s food and seed sovereignty
https://www.eurovia.org/wp-content/uploads/2025/12/Statement-EU-MS-approve-deregulation-of-GMOs-obtained-by-NGTs-EN.pdf
(3) Gene editing disrupts multiple gene functions through large-scale epigenetic changes in a way that persists through successive cell generations
https://gmwatch.org/en/106-news/latest-news/20621





